亡くなった父が教えてくれたこと

こんにちわ。FPの金蔵です。
このブログには何度か登場していますが、昨年亡くなった父親からは、お金について、本当にたくさんの事を学びました。
本日はその父親の生い立ちとなぜお金について賢くなれたのか、触れてみたいと思います。
私の父親の実家は、何百年も続く、とある地方の大地主で、戦前は広大な土地を所有しており、かなり裕福な家庭だったそうです。
ただ、戦後は農地解放の影響で、ほとんどの土地を失った上、私の祖父はろくに仕事もせずに、残された土地を切り売りして生計を立てていたため、一気に貧しくなったそうです。
父の兄は、長男であるという理由から、東京の大学まで行かせたもらえた一方、父は働きながら、夜学を卒業し、若しくて自分で卸業の商売を始めました。
何のコネや親からの支援もない中、ゼロから事業を立ち上げた苦労話を、晩年よく私に語ってくれました。
お金について、とことん苦労したからこそ、自然とお金の知識が身に付いたのだと思います。
店の土地を担保に、銀行から多額の借り入れをして、運転資金を確保していただけに、金利については非常に敏感でした。
まだ延滞税というものがなった頃、税金は支払期限を過ぎて払ってもなんのペナルティもないのだから、ギリギリまで支払いを先延ばしした方が良いと言っていたことを思い出します。
当時は何のことを言っているのかさっぱり分かりませんでしたが、資金の運用効率を上げるため、支払いはなるべく遅く、回収はなるべく早くという商売の基本の事を言っていたのですね。
また、卸業という商売柄、倉庫には大量の在庫(ストック)を抱えていましたが、ある時期から、在庫を極力減らし、注文を受けてから、問屋に仕入れに行くスタイルに変えていました。
そういえば、お店のホワイトボードには、大きな字で「ノーモアストック(No More Stock)」と書かれていました。
当時、常連のお客さんからは、右から左に商品を流しているだけと馬鹿にされたそうですが、在庫を抱えること、イコール資金を遊ばしていることであることを知っていたのですね。
安易な固定費の増加にも敏感で、バブル前の最盛期でも、店の規模を拡大することには慎重でした。
一番忙しい時で、お二人ほど従業員さんを雇っていましたが、バブル後はその方々にも辞めてもらい、母親と二人で細々と商売を続けていました。
むかし父親の運転で実家の周辺をドライブするたびに、バブル期に店の規模を拡大させて、全財産を失った同業他社のお店の跡を教えてくれたことを思い出します。
車や服装など、普段の生活から、見栄を張るより、実を取る人でした。
父親の姿で最も印象的だったのは、お店に置いてあった短い鉛筆でしょうか。
今ではあまり見なくなった短い鉛筆を使うための鉛筆補助ホルダーを愛用しており、モノを大事にしていました。
しかも、電動の鉛筆削りで削れなくなった短い鉛筆を、小刀で更に削って最後の最後まで使い切る姿に、父親の商売の真髄を見たような気がします。
大学卒業後、サラリーマンしか経験のなかった私は、ファインシャルプランナーの勉強を始めて、ようやくいっぱしのお金の知識を身に着けることができました。
ただ、若いころから自営業でお金の苦労してきた父親は、私が知っている程度のことは、実地の経験で学んでいたのでしょう。
今もし父親が生きていたら、もっと深いお金の話ができたのにと悔やまれてなりません。
亡くなってから分かる事ですが、一見大した経験がなさそうな親でも、家庭を築き、子どもを育て上げたきたからには、お金に限らず、いろんな苦労をされてきたはずです。
まだご両親がご存命の方はぜひいろんな話をされることをおススメします。
きっとまだ自分が気づいていない、生きるヒントをたくさん教えられますよ。
*(以下、参考記事)
24年2月11日 『【新NISA】麦わら帽子は冬に買え』https://fpjinwanofisu.webnode.jp/l/%e3%80%90%e6%96%b0nisa/
24年2月13日 『【相続】間に合わなかった売却』
24年2月19日 『近所の個人商店がつぶれないワケ』
